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2011年9月10日 (土)

墨田区東両国(続)~東京の市内局番が2桁だったころ

以前書いた記事で、両国橋の両端の二つの両国について触れました。

墨田区東両国
http://dp.air-nifty.com/blog/2011/07/post-c839.html

回向院からの帰りに、また見つけましたのでアップ。

Ekoin_20110904_152800_033

社名を隠させていただきましたが、以前の雰囲気が、何となく感じられます。

Ekoin_20110904_152800_034

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こちらは、両国公園にある「国旗掲揚塔」。

Ekoin_20110904_153300_043

こちらは、公園内でもありますので、そのまま掲載しました。

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ちなみに、江戸東京博物館NEWSの最新号に「両国と地震と復興」の記事があり、地名の変遷について触れられています。文中の表だけ書き写させていただきました。

  大橋架橋※後 関東大震災後 戦後
西

西橋詰火除地
「両国」
(両国広小路)
日本橋区
「両国」
中央区
「日本橋両国」
中央区
「東日本橋」
  1934(昭和9) 1947(昭和22) 1971(昭和46)

東橋詰
「向こう両国」
(通称)
本所区
「東両国」
墨田区
「東両国」
墨田区
「両国」
  1929(昭和4) 1947(昭和22) 1967(昭和42)

※大橋は両国橋が最初に架けられたときの名称。1661(寛文元)の完成といわれる。

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帰宅のため、両国駅に戻る途中で、以前から気になっていた物件に・・・

Ekoin_20110904_154200_050

このタイプの、電話番号の標示板は、さほど珍しくはありませんが、電電公社のマーク+市内局番2桁のパタンは、初めてみました。東京の市内局番が、2桁から3桁になったのは1960年(一部は先行して実施)ですから、それ以前からの建物か、と。

この物件については、後日もう1回ふれます。

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近所にあった砦の写真。

Ekoin_20110904_154600_056

Ekoin_20110904_154600_058

美容院の店頭のインスタレーション。

Ekoin_20110904_154600_057

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