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2011年9月25日 (日)

桃園川の分流

この夏、ブログの更新が停滞している間、中野区の川や川の跡をたどっていました。

整理が全然追いついていませんが、妙正寺川、江古田川、江古田川の分流群、妙正寺川の分流群、旧・桃園川、桃園川の支流の谷戸川など。準備ができたものからアップしていきたいと思っています。

昨日は桃園川の中野区の部分(末広橋→西田橋)までを歩いてきましたが、そのおまけで、桃園川の分流を探ってきました。

桃園川の本流は緑道公園として残っていますが、この分流は、かなり以前に埋められてしまったようで、すでに宅地になっていたり、隣接の土地と人つながりに占有されていたりして、痕跡をたどることは容易ではありません。記憶が薄れないうちに、アップしておきたいと思います。

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中野区の都市計画地図(1963年5月時点)の一部です。

Img033

町名が現在とはまるで異なりますが、中野駅の位置などで、だいたいどのあたりかおわかりいただけると思います。図の右の方の南北の通りは中野通り、図中央の東西の通りは大久保通り、下の方の東西の通りは青梅街道。

例によって色鉛筆で着色していますが、緑色の線は桃園川(現在は暗渠とのあって桃園川緑道に)、「宮園通五丁目」と「本町通六丁目」の町境に沿った青色の線が、本題の分流です。

いろいろ迷って結局やめましたが、実際には、桃園第三小(現在は桃花小)の西側の通りは、かつては水路で、公園橋の南のあたりで桃園川に合流していたようです。

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桃園川、西田橋の跡から南へ。しばらく行くと、やや広い通りに出ます。

通りの向こう、手前右は中野区中央五丁目、左と奥の方は杉並区高円寺南一丁目です。

Dscf4668

たとえば、ここが区境。

Dscf4675

もともとの地図が、町名が現在と異なること。特に「宮園通五丁目」と「本町通六丁目」は、現在はどちらも「中野区中央」なのですが、元の町の境目が必ずしも道路ではなく、現在の地図にプロットするのが難しい。どこが水路の跡なのか・・・

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昭和浴場。ここは昔と場所は変わっていないはず。

Dscf4683

Dscf4686

昭和浴場
http://www.tajimagic.com/showa/

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水路は、この左側の細い道の途中で、東西にあったはず。

Dscf4684

この路地と思われますが、痕跡はなく、つきあたりには住宅。

Dscf4687

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昭和浴場の東側の道の途中に痕跡が・・・このお宅の御主人にお話を伺って、かつての水路跡であることが確認できました。

Dscf4692

上の写真の反対側も水路跡があり、その先が昭和浴場の裏手に続いていると想像されますが、写真を取り忘れました。また、前記の路地につながっているかどうかも判然としません。都市計画図では、このあたりで水路が二つに分かれているように見え、もしかしたら、突き当たりの住宅の敷地の南北に水路があったのかもしれません。

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水路は、現在の中野区立中央西公園の裏手を通っているのは、都市計画地図でわかっています。前記の痕跡と公園裏手までの間は、住宅地に埋もれてしまって、跡をたどることはできません。

Dscf4699

公園の裏手をのぞいてあたりをつけます。

Dscf4700

うろうろしている間は余り気にならなかったのですが、このあたり、かなり高低差があるようで、公園の崖下が水路跡なのか・・・

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公園と背中合わせに建つ集合住宅。

Dscf4705

公園と集合住宅の間に、水路の痕跡が草に埋もれていました。

Dscf4706

公園の裏手に当たる家並み。水路跡と思われますが、蓋がしてあって通れません。

Dscf4709

並びにある駐車場。右の擁壁の上は中央西公園。こちらも蓋をされていますが、上の蓋とつながっている、はず。

Dscf4711

反対側、このあたりでは完全に暗渠になっています。

Dscf4712

私有地なのではいることはできませんが、擁壁の下に水路の跡がある、はず。

Dscf4715

都市計画地図に書かれた線はこのあたりまで。

ただ、実際には桃園第三小の西側を通って旧・桃園川に合流していたわけですが、線の切れ目から桃園第三小までの間も、現在のどこに当たるのか、判然としません。1947年の航空写真を見ましたが、写真が不鮮明、または、すでに埋められたあとなのかもしれません。

Capu20110815_220133_001

Capu20110815_220157_004

・・・と、うろうろしていると、今回の探索で最大の発見が! といっても、地元の方には当たり前のことなんでしょうが・・・

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桃園第三小(現在は桃花小学校)の校門のそばに、かなり古い橋の欄干が。

Dscf4721

「かう志んばし」とあります。こうしん橋ですね。

Dscf4723

完成は「大正十三年四月二十六日」とあります。1924年。この年は「きのえね(甲子)」で、「かのえさる(庚申)」ではありませんので、橋の名前の由来は、この橋の完成年ではなく別のものでしょうか(元の橋の完成年?、方角?)。

Dscf4724

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庚申橋の欄干から見た水路跡。たどるのは難しそう。

Dscf4725

それらしい写真は撮りましたが、あまりに推測がすぎるので、公開するのはやめておきます。

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桃花小の案内図、西側の道路、または、学校敷地の西の端に水路があったと推測しています。

Dscf4734

その道路。

Dscf4735

さらに進むとその奥に・・・

Dscf4737

このあたりで、旧・桃園川と合流していたはず。

Dscf4738

桃園川緑道については、いずれまた。

Dscf4740

また、この水路は杉並区にも続いていたかも。

地図が入手できたら、確認してみようと思っています。

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