« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

2013年4月27日 (土)

Free Space Checker

Version 1.3をリリースしました。

・ドライブの入力/表示欄を従来の2倍に広げました。
・10ドライブまで設定できるのは従来通りですが、指定行数+1でフォームの高さを伸縮するようにしました。

http://homepage1.nifty.com/egota_dp/products/FSCheck/index.htm

###

◆Free Space Checker


 指定したドライブの空き領域を表示します。
 通知領域に常駐して、指定した容量(GB単位で1~9で指定)を下回ると、アイコンが点滅して知らせます。
 ネットワーク・ドライブも指定でき、クオータが指定されている場合は、その値も考慮します。
 (NASは、設定によっては計測できない場合があります)

Egotad16_20130427_074330_010

2013年4月25日 (木)

東京都下水道局 三之橋ポンプ所

久々に水門の写真。三之橋ポンプ所を追加しました。

Midori_20130411_124705_193

東京都下水道局 三之橋ポンプ所
http://egotadp.la.coocan.jp/suimon/

2013年4月24日 (水)

【錦糸町界隈】(旧)本所区緑町(その2)、緑町公園

緑町二丁目高架の一つ西は、緑町通り高架(現在の亀沢2-1所在)。

Midorichodori_20130422_123700_019

「緑町通り」という通称が、現在も使われているかどうかはわかりませんでした。

Midorichodori_20130422_123630_015 Midorichodori_20130422_123609_013

その次は、緑町一丁目高架。

Midoricho1_20130422_124152_030 Midoricho1_20130422_124005_029

###

例によって、(旧)緑町1~3丁目と現在の地図を並べてみました。

Midoricho12

ほぼ、ですが、旧2丁目、3丁目が現在の緑2丁目に、旧1丁目と(旧)相生町5丁目が現在の緑1丁目にあたります。

###

緑町公園(南側)。隣接する図書館は「緑図書館」。

Midoricho1_20130422_125342_045 Midoricho1_20130422_125349_047

現在の緑1丁目に所在の「国旗掲揚塔」。後ろのかわらぶきの屋根は質屋さん。

Ncm_0021 Midoricho_20130423_123445_022

設置時期は不明。おそらくは戦後。建っているところが唐突な感じがするのですが、近くに町会の事務所があり、その近くに建てる余地がなかったため、ここに建てた、かと。

Ncm_0029

ちなみに町会の名称も「緑町一丁目町会」から、現在は「緑一丁目町会」に変更されています。

Midoricho_20130423_123450_023 Ncm_0020

###

こちらは、緑町公園(北側)にある、国旗掲揚塔の跡。

Ncm_0401 Ncm_0402

建てられたのは昭和5年(1930年)。

Ncm_0403

このころはまだ「本所区緑町」のはずですので、「緑一/二丁目」の表記は変なのですが、たとえば「緑町一丁目町会」を「緑一町会」と表記することがあったと思われ、うっかりこのような表示になってしまったものと推測。

(つづく)

2013年4月23日 (火)

【錦糸町界隈】(旧)本所区緑町(その1)、墨田緑町郵便局

緑町は現在は「墨田区緑」。1丁目から5丁目が、震災後の1929年1~4丁目に再編されました。

前回の永倉町高架の1つ西は、緑町五丁目高架(現在の亀沢3-2に所在)。

Midoricho5_006

つづいて、緑町四丁目高架。

Midoricho4_001

緑町4丁目と5丁目は、現在の緑3丁目。

Midoricho45

###

緑町三丁目高架(現在の亀沢2-3に所在)。

Midoricho3_003

緑町二丁目高架(現在の亀沢1-3に所在)。

Midoricho2_20130422_123831_022 Midoricho2_20130422_123958_028

###

現在の緑2丁目には郵便局がありますが、名称は墨田緑町郵便局。

Midoricho_20130423_122738_015

風景印を押してもらいました。

Midorichopo 

(つづく)

2013年4月22日 (月)

【錦糸町界隈】(旧)本所区永倉町、永倉稲荷

長崎町の次は永倉町。これも、現在は存在しない町名です。この公衆便所は、竪川中学校の近く。以前は、永倉公園という公園もあったようですが、いまは見あたりません。

Nagakuracho_005

前回の長崎町高架の一つ西にある永倉第三高架の空頭票。

Nagakuracho_20130422_121627_057

その次の、永倉第二高架。

Nagakuracho_20130422_121744_058

その次の、永倉第一高架。

Nagakuracho_20130422_122233_072 Nagakuracho_20130422_122018_070_2

三ツ目通りをまたぐ永倉第1架道橋。

Nagakuracho_20130422_122720_077 Nagakuracho_20130422_122704_075

###

前回と同じく、関東大震災直前の地図と、現在の地図をならべてみました。

Nagakuracho

左の地図にある「本所区」は墨田区の前身で、1878年に設置。1947年に向島区と合併して墨田区が新設。

###

緑4丁目にある永倉稲荷。鳥居は、昭和8年の建立。

Nagakuracho_20130422_121821_061 Nagakuracho_20130422_122000_069

このあたりは、東京大空襲で焼け野原になったはずなので、戦果をくぐり抜けた鳥居、ということになります。

Nagakuracho_20130422_121937_067 Nagakuracho_20130422_121945_068

かわいそうに、耳がちぎれてる。

(つづく)

2013年4月21日 (日)

【錦糸町界隈】長崎橋、(旧)本所区長崎町

かつて、大横川にかかっていた長崎橋。現在は、親柱と欄干の一部が残されています。

Nagasakibashi_033 Nagasakibashi_032

30年余り前までは、川が流れていたところ。堤防は当時のままに残されています。

Nagasakibashi_036 Nagasakibashi_031

###

長崎橋からJR総武線の高架のほうに移動すると、空頭票(上空に構築物がある場合、工事の安全のために、そこまでの高さを周知する表示)を見ると「長崎町」の表示が。

Nagasakicho_20130418_125626_013

ガードの名称も「長崎町高架」。

Nagasakicho_20130418_125525_010 Nagasakicho_20130418_125538_011

このあたりは墨田区亀沢4丁目で、住居表示実施前は「墨田区亀沢町」でした。「長崎町」という町名には思い当たらなかったので調べてみたら、1930年頃、震災復興の完了の頃に消滅した地名でした。

###

震災直前の地図と現在の地図を並べてみました。左の地図で青色の線で囲まれた部分が、当時の長崎町。これを右の地図にコピーしてみました。

Nagasakicho

右の地図が残念なことになっているのは、うっかりIOSをバージョンアップしてしまったためです。ホントに残念なので、現在の町界を赤色の線で、町名を緑色の枠で補足しました。

ちなみに、左の地図で「南割下水」とあるのは、江戸時代に開削されたまさに「下水道」で、両国の米蔵あたりから、雨水を集めながら大横川に流していたそうです。震災後に埋められ、現在は北斎通りとなって面影を見ることはできません。一時は「割下水通り」と呼ばれていた時期もあったようです。

同じく左の地図の下の方の線路は、1918年開業の東京市電。のち、都電25、29、38系統となって、1972年に廃止されました。

###

普段、住居表示前の町名を見つけられるよう心がけていますが、そんなに古い町名に行き当たるとは予想外でした。

総武線の高架(電車線)が両国から市川まで開通したのは1933年。これも震災復興の一環だったそうで、工事の計画~実施の頃の町名が、そのままガードの名前になったものと思われます。

ここから両国方向に歩いたのですが、震災復興とともに消えた町名に、次々と出会うことになりました。

(つづく)

2013年4月15日 (月)

【錦糸町界隈】新山名橋の跡

昨日の記事の、通路の反対側(大門通り側)。

Ncm_0165

同じく、資材置場の反対側。

Ncm_0166

やはり、路面が盛り上がっているのがわかります。

Ncm_0167

新山名橋のほうが山名橋より古いものだったためか、記念碑がありました。橋は平成元年まで残っていた、と。

Ncm_0168

この日の隣にあるのがこのお宅。碑と建物の間の、現在は駐車場として使われているあたりは、最後まで入堀が延びていた部分と思われます。

Ncm_0393

「富船」かと。しかとはわかりかねますが、船の修理などを生業とされていたように見受けられます。

Ncm_0394

つづく

2013年4月14日 (日)

【錦糸町界隈】菊柳橋と旧・柳原町

山名橋や新山名橋があるあたりは、現在は墨田区江東橋五丁目ですが、以前は柳原町と呼ばれていました。もともと、江戸の頃からあったこの地名ですが、震災復興の1930年から33年にかけて江東橋と柳原町に再編。1967年5月の住居表示実施で、消滅してしまいました。

ただ、30年余を経て、まだその名残を見つけることができます。これは東電の電柱の標識。

Ncm_0339

そして表札。

Ncm_0012 Ncm_0337

防犯連絡所の標識。「柳原町防犯本部」とあります。

Ncm_0386

防犯連絡所の標識は珍しくありませんが、連番が表示してあるのは初めて。かなり古いものかもしてないです。

###

大横川にかかる菊柳橋は、現在工事中。前の橋を取り壊して、新しい橋をかけ直すようです。

Ncm_0034

Ncm_0033

Ncm_0035

菊川橋からの遠景。

Ncm_0021

この項おわり

【錦糸町界隈】大横川の入堀と山名橋の跡

昼休みの散歩で、大横川のそばを歩いていたら、妙な構築物が・・・

Ncm_0144

大横川に接しているので、入堀の跡かと推測されましたが、

Ncm_0148 Ncm_0149

どうもそのようです。上の写真の対面には、材木店。

Ncm_0159 

そして、構築物の前あたりで、路面が盛り上がっています。おそらくは橋があったところ。

Ncm_0141

###

ここで、古い地図(1963年)を見ると、右下の「柳原町」の左右に、「山名橋」「新山名橋」とあります。どうも、山名橋があったあたりのようです。

Ptdc0020

さらに航空写真。

まずは1947年。入堀は、大門通りを越えたところまで延びており、水面には材木が浮かんでいる様子も。

Shinyamanabashi_1947

1963年の写真。少し埋められたようですが、まだ貯木場として使用されています。

Shinyamanabashi_1963

最近の写真。1963年の水面をはめてみました。

Shinyamanabashi_photo

現在の地図。同じく1963年の水面をはめてみました。

Shinyamanabashi_map

###

大横川に接しているあたりから、入堀が延びていた方向を見る。

Ncm_0152

このあたりの資材置場やその隣の細い通路が、入堀の跡か、と。

Ncm_0142

Ncm_0145

つづく

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

無料ブログはココログ

最近のツイート