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2013年4月21日 (日)

【錦糸町界隈】長崎橋、(旧)本所区長崎町

かつて、大横川にかかっていた長崎橋。現在は、親柱と欄干の一部が残されています。

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30年余り前までは、川が流れていたところ。堤防は当時のままに残されています。

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長崎橋からJR総武線の高架のほうに移動すると、空頭票(上空に構築物がある場合、工事の安全のために、そこまでの高さを周知する表示)を見ると「長崎町」の表示が。

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ガードの名称も「長崎町高架」。

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このあたりは墨田区亀沢4丁目で、住居表示実施前は「墨田区亀沢町」でした。「長崎町」という町名には思い当たらなかったので調べてみたら、1930年頃、震災復興の完了の頃に消滅した地名でした。

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震災直前の地図と現在の地図を並べてみました。左の地図で青色の線で囲まれた部分が、当時の長崎町。これを右の地図にコピーしてみました。

Nagasakicho

右の地図が残念なことになっているのは、うっかりIOSをバージョンアップしてしまったためです。ホントに残念なので、現在の町界を赤色の線で、町名を緑色の枠で補足しました。

ちなみに、左の地図で「南割下水」とあるのは、江戸時代に開削されたまさに「下水道」で、両国の米蔵あたりから、雨水を集めながら大横川に流していたそうです。震災後に埋められ、現在は北斎通りとなって面影を見ることはできません。一時は「割下水通り」と呼ばれていた時期もあったようです。

同じく左の地図の下の方の線路は、1918年開業の東京市電。のち、都電25、29、38系統となって、1972年に廃止されました。

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普段、住居表示前の町名を見つけられるよう心がけていますが、そんなに古い町名に行き当たるとは予想外でした。

総武線の高架(電車線)が両国から市川まで開通したのは1933年。これも震災復興の一環だったそうで、工事の計画~実施の頃の町名が、そのままガードの名前になったものと思われます。

ここから両国方向に歩いたのですが、震災復興とともに消えた町名に、次々と出会うことになりました。

(つづく)

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