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2014年1月

2014年1月29日 (水)

【錦糸町界隈】「サラ金」があったころ

1970年代から1980年代にかけて一般的になった「サラ金」の呼称。無担保、ただし高利の消費者金融業者のことですが、サラ金問題~バブル崩壊後の多重債務者問題~上限金利規制強化と中堅以下の業者の倒産、あるいは大手業者への吸収、などを経て、業界全体は見かけは大きく変わりました。

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錦糸町界隈で初めて発見した、サラ金のポスター。東京03の市内局番が3桁から4桁に変わったのは1991年の元旦。なので、もう20年以上前のもの。よっぽど強力なのりが使われていたのか?

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下の3本は、江東橋のどこか。

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昔は「電話担保」(電話加入権を担保にする)なんてのもありました。

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「20万円まで即決」。上限金利規制がかかる前は、よくありました。

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上の完全版。「サラリーローン」。

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会社名が褪色で読めませんが、電話番号が上のポスターと1番違い。なんだかなー

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サラ金とは違うけど、いまは消滅した電話加入権担保融資の広告。

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こちらは引っ越し屋さんの広告。

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サラ金ではないけれど、やはり社会問題になった「Q2ダイヤル」の広告。ちなみに、このサービスも来月末(2014年2月28日)をもって廃止になるとのこと。

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サラ金とも電柱とも関係ないけど、江古田駅付近のたばこ屋さんの看板。

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日住金は、かつて存在した住宅金融専門会社のなかでも最大手。1995年に破綻。破綻直前の融資残高は2兆円にものぼったとのこと。

「バブル崩壊」という言葉は通じても、「住専問題」とか「不良債権」とかいう言葉は、もうあまり聞かれなくなりましたね。

2014年1月28日 (火)

【錦糸町界隈】鎮守稲荷大明神

江東橋二丁目にあるお稲荷さん。由緒はよくわかりませんが、町会でお世話なさっておられるものと思います。

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ここの狐さんもケージに入れられていませんが、残念ながらちょっと痛々しい。

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1961年に作られた玉垣。刻まれた会社名は、以前この付近にあった軽工業企業のものか、と。

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「東京台貫」は、台貫(貨物車の積み荷の重量を、車両ごと量るはかり)を製造していたか、所有して計量するサービスをする会社と思われますが、現在はそれらの業務はなさっていない模様。「大同亜鉛精錬」のほうは、現況はまったくわかりませんでした。

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東京都墨田区江東橋2-18-7
http://kokomail.mapfan.com/receiven.cgi?MAP=E139.48.53.7N35.41.33.5&ZM=12

2014年1月27日 (月)

【錦糸町界隈】墨田区竪川(現・墨田区立川)

竪川にかかる竪川橋の親柱。現在、橋のたもとで工事中のため、残念な姿。

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近くにある案内図。

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たてかわばし児童遊園も工事中。

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案内図で、川の名前も橋の名前も「竪川」なのに、町の名前はなぜか「立川」。

1966年に住居表示が実施され、それまでの「墨田区竪川」が「墨田区立川」。このとき、当用漢字表に「竪」の字が含まれていなかったため「立」を使ったんだと。残念なこと。

「竪」を「たて」と読ませるのは容易ではないけど、東京で「立川」を「たちかわ」ではなく、「たてかわ」と読ませるのは、もっと困難なはず。どっちにしてもふりがなを振らなければならないなら、もとのままのほうがよかったですよね。

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表札に残る、旧町名。

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旧町名の頃の町会の標識。

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こちらも旧町名の頃(1963年)に建てられた「国旗掲揚塔」。

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竪川橋から見た竪川。

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竪川は東半分は埋められてしまいましたが、このあたりから隅田川にかけての部分は川のまま残されています。川の上には首都高(7号小松川線)。

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2014年1月26日 (日)

【錦糸町界隈】津軽稲荷神社

錦糸町駅付近では、多くの稲荷神社に出会います。

稲荷神社は商売繁盛の神様、産業神で、都内ではあちこちで見かけますが、住まいのある中野区では4か所しかありません。一方、屋敷神として住宅や企業の敷地内に祠があるのは、よく見かけます。また、江戸時代の長屋を特徴付けるセットの一つとして、稲荷の祠があるべき、などと前に書いたような気もします。

稲荷神社が地域によって多少があるのは、(1) 農地から宅地、商業地への転換の時期(屋敷神がそのまま残ったか、稲荷神社に発展したかどうか)。(2) 震災や戦災の被災の程度(長屋が戸建てに転換していく過程で、祠が神社に統合された)。(3) (1)(2)の時期と神仏習合(稲荷神社はお寺に併設される場合が多い)、などの要因があると、★個人的には★考えています。

・・・というようなことは、その道に詳しい方ならパッと答えがいただけそうなものですが、素人にはここまでが限界。

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津軽稲荷神社は錦糸一丁目に所在。名前は、この付近が以前は津軽藩の下屋敷だったことによるもの。屋敷神が町会に払い下げられて、現在のような姿になったのだと。

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稲荷神社の特徴である赤い鳥居はありませんが、幟は年中立てられています。

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稲荷のアイコンである狐。削られるのを防止するため、ケージに入れられている場合が多いのですが、ここでは自由にさせてもらっているようです。

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社殿は最近建て替えられたものですが、お手水は・・・

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明治36年(1903年)のもの。

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稲荷神社の祝日は「初午」ですが、ここでは地口行灯も掲げられます。

何年か前の地口行灯の写真は、こちらに。
http://homepage1.nifty.com/egota_dp/oyokokawa/2008/200802/20080204/20080204.htm

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由来の写真が見つかったので、追加。

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東京都墨田区錦糸1-6-12
http://kokomail.mapfan.com/receiven.cgi?MAP=E139.48.44.8N35.41.40.6&ZM=12

2014年1月25日 (土)

【錦糸町界隈】電信柱のアントニオ猪木

江東橋のとある電柱。

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貼り紙防止のゴムシートが老朽化ではがれてしまい、ゴムシートを貼る前の貼り紙が現れた、というところ。

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「・・・ニオ猪木」と読み取れる。

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席料は、1000円から10000円まで。

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「ポンペイ最後の日」じゃないけど、古いものがひょこりあらわれてそれが気になる。けど、これは行き過ぎか・・・(^_^;

2014年1月18日 (土)

(このブログは余裕があるときだけ更新しています)

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與野町の塵芥票と神明神社(さいたま市中央区)

先日、SKE48の個別握手会でさいたまスーパーアリーナに行ったついでに、周辺をウロウロ。SSA最寄りの埼京線の北与野駅、京浜東北線のさいたま新都心駅は、どちらも専用の通路で結ばれていて、地平に降りることはないのですが、個別は早めに終わるので。

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現在は駐車場になっていますが、以前は住宅があったようで、門だけが残っています。

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この門に貼られている標識。左は東京ガスで、都内でもよく見かけます。右は「與野町 塵芥票」となっていて、これは初めてです。

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最近はなくなりましたが、以前は門や玄関に、ガス、電気、水道・下水道、電話、NHK、など世帯との契約を示すものや、日赤、固定資産税の家屋調査済証などが貼られていました。長くお住まいになっている住宅には、これらがそのままになっていて、建物がいつ頃建てられたものか、見当をつける材料になります。

「與」は「与」の旧字で、つまり与野町。このあたりは、現在は「さいたま市中央区上落合一丁目」ですが、2001年にさいたま市成立する前は与野市。北足立郡與野町の市制施行は1958年ですので、50年以上前に貼られたものになります。

現在、家庭から出るごみの処理については廃棄物処理法で規定されていますが、当時は清掃法の時代。その頃は、もしかしたら有料が原則で、自治体と世帯が個別に契約していたのかもしれません。

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この付近の鎮守、神明神社。社殿は最近建てられたもののようですが…

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鳥居の手前にある「国旗掲揚塔」のようなもの。左右対になっているので、祭事のときに笹を建てたりするのかもしれません。

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社殿に向かって右側の塔は、設置時期が不明なのですが、銘に「大宮町」とあります。さいたま市の前身の一つである大宮市。市制が施行される前は北足立郡大宮町。大宮町が存在したのは、町村制が施行された1898(明治22)年から、市制施行の1933(昭和8)年までの間。

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社殿に向かって左側のほうには、設置時期がありました。

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「明治27年5月」とあります。

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神社は、社殿や鳥居は新しくても、それ以外の設備に古いものが残っているものが多いので、チェックは欠かせません。

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