« 新宿区下落合、中落合、中井 | トップページ | 【毎日新聞の切り抜き】「何人死んだんだ」が示す冷酷 想像力欠く政治家発言が差別をあおる 沖縄、福島 本当に人ごとか »

2018年2月12日 (月)

【お昼休みに暗渠】谷戸川の支川

神田川の支川の桃園川、の支川の谷戸川、のそのまた支川は、分岐点からJR中央線の線路の南のあたりまでは、その痕跡がはっきりしていてたどって楽しいルートです。

そこから北の部分は、暗渠になった時期が相当古い(おそらく戦前)ようで、面影はほとんどありません。今回は、「東京時層地図」にかなりお世話になりました。

▼戦前期

Mapsenzen_25pc

▼戦後期

Mapsengo_25pc

▼現在

Mapcurrent_25pc

地図左下の青色になぞった線が、谷戸川の支川です。現在の地図で、青色の線の上端のあたりにある郵便局の記号は東中野郵便局、学校の記号は(現在は)区立中野三中を示します。戦前の地図では、水路を示す水色の線がこのあたりまで延びています(戦後の地図では消えています)。

###

ちなみに「(現在は)区立中野三中」と書いたのは、戦前にこの場所にあったのは、旧・区立東中野小学校だからです。当時の東中野小学校(東中野尋常小学校)は1937(昭和7)年に開校。1945(昭和20)年5月25日夜の空襲(山の手大空襲)で消失、1946(昭和21)年3月に閉校になりました。

その後、1956(昭和31)年に、元の場所の少し北の所に新たに東中野小学校が開校しますが、2009(平成21)年の学校再編で、これも閉校になってしまいました。

###

このように、ルートは地図で確認するしかなさそうなので、しっかり印刷して出かけます。

Img_20180208_120253_25pc

▼東中野駅東口の北側の階段を降り、新宿寄りにある階段をさらに降りると・・・

Dsc_0165_25pc

▼桐ヶ谷ガード。水路もこのガードをくぐっていたのかどうか…

【訂正】桐ヶ谷ガードが道路として使われるようになったのは1962(昭和37)年のことだそうで、そのときにはとっくに暗渠になっていたはず。ということは、水路がこのガードをくぐることはなかったでしょう。取り急ぎ訂正です。

【中野の歴史10-2】東中野駅、開かずの踏切30年物語
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/category/walking/history/43037

まちの歴史 | 東中野四丁目町会
http://city.higashinakano4.jp/history.html

Dsc_0166_25pc

Dsc_0122_25pc

▼なぜ過去のあたりの写真が少ない・・・桐ヶ谷ガードから日本閣の脇を抜けたところから南側を写したもの。このあたり(たぶん左側の歩道のあたり)に水路があった、はず。

Dsc_0169_25pc

▼同じ地点で北側を写したもの。全体に左から右に傾斜しています。右に進むと神田川に突き当たります。正面、横断歩道の先に数人の人がいるあたりに水路が続いていた、はず。ちなみに、角のお店は話題のラーメン店のようで、入店待ちのお客さんが待機しているのです。

Dsc_0170_25pc

▼ここから先は、なだらかなカーブと・・・

Dsc_0171_25pc

▼道路の東側の土地が、道路より一段下がっていることのほかに、水路跡だと言うことを想像させるものはありません。

Dsc_0172_25pc

Dsc_0173_25pc


Dsc_0174_25pc


Dsc_0140_25pc


Dsc_0141_25pc

▽けやき公園。水路跡と言っていいのは、せいぜいこのあたりまで、かも。

Dsc_0142_25pc

▼ただ、この少し先に「水神之碑」という石碑があります。

Dsc_0149_25pc

▽碑が建てられたのは昭和36年(1961年)。谷戸川支川はとっくに暗渠になっていたはず。一方、神田川の流路修正はおそらくこの頃なので、どちらかというとそちらに合わせて建てられたもののような気がします。

Dsc_0150_25pc

###

・・・このように、なんとも締まりのない水路行となりましたが、今回下調べの過程でいろいろわかったこと、実際にこの周辺を歩いてみてわかったことがいくつかありますので、それらのついては別の記事で。先週は、5回の昼休みのうち3回を、このあたりの探索に費やしたのでした。上の地図は、その別の記事でも使います。

###

東中野今昔物語
http://higanaka.sakura.ne.jp/konjak.html
http://higanaka.sakura.ne.jp/konjak/konjak001.pdf

###

【2018/2/18追記】

桐ヶ谷ガードの件、東中野駅は通勤でずいぶん使って、新宿寄りのホームの端から見える踏切らしきものも、何百回も見ているのに、何も疑問に思ってませんでした。あれが旧・桐ヶ谷踏切の名残だったんですね。

▼線路の北側から南方向。下り快速が通過中。

Dsc_0075_25pc

▽線路の向こう、右側の白い建物が交番。たぶん昔と場所は変わってないのでは。

Dsc_0076_25pc

▽ホームの端が見えます。北側はフェンスで出入りはできませんが、南側には門があって出入りができるようになっています。工事用車両の出入り口だと思っていたのですが。

Dsc_0077_25pc

▽踏切の跡だったんですね。

Dsc_0082_25pc

###

« 新宿区下落合、中落合、中井 | トップページ | 【毎日新聞の切り抜き】「何人死んだんだ」が示す冷酷 想像力欠く政治家発言が差別をあおる 沖縄、福島 本当に人ごとか »

水辺を歩く」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/602969/66385597

この記事へのトラックバック一覧です: 【お昼休みに暗渠】谷戸川の支川:

« 新宿区下落合、中落合、中井 | トップページ | 【毎日新聞の切り抜き】「何人死んだんだ」が示す冷酷 想像力欠く政治家発言が差別をあおる 沖縄、福島 本当に人ごとか »

無料ブログはココログ

最近のツイート