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2018年2月25日 (日)

【きょうの調べ物】中野区上高田の住居表示と区画整理

【2018/2/25】

今週の昼休みは、「上落合」の記事に追記したように、あることの準備のためもあって、上落合三丁目をかなり細かく歩きました。闇雲に歩いていると、いつの間にか新宿区からはみ出して、中野区上高田に突入していました。そこで発見した門標。

Dsc_0035_50pc

Dsc_0049_50pc

どちらの標識も、ずいぶんレトロに見えます。上のタイプは中野区内の別の場所で、下のタイプは豊島、中野、練馬で見かけたことがあります。個人が設置したのではなく、おそらくは自治体が配布して設置されたものと思います。

それがいつのことなのか、標識がいつのものなのか、というのが気になるのですが、標識にある住所は現在のものと同じなのです(「番地」という表現があるのはとりあえず置いといて。また、現在の住所は、実際には上高田一丁目7番XX号なのですが、それもとりあえず置いといて)。

現在の住所と同じということは住居表示が実施されたあと、ということになります(中野区は全域で住居表示を実施済)。

中野区の住居表示は一部の先行地域を除いては、1966(昭和41)年に実施されました。いつも参考にするWikipediaの「中野区の町名」のページを見ると、現在の上高田一~五丁目になったのは1966年で、その前身は上高田一・二丁目と昭和通一~三丁目の一部となっています。

▼上高田一・二丁目と昭和通一~三丁目 (東京時層地図)

Img_3242_50pc


とすると、この標識は1966年以降設置されたことになりそうですが、それにしてはえらくレトロな感じがします。

他の地域では、下の様式と同じですが、住居表示が実施される前の住所が表示されているものもありました(中野区新井町、豊島区池袋東など)。

また、現行の住居番号表示板は、住居表示に関する法律(昭和37(1962)年5月10日施行)による「街区方式による住居表示の実施基準」(昭和38(1963)年7月20日自治省告示第117号)で定められており、住居表示の実施のあとに、それとは異なる様式の標識を設置するのも考えにくいです。

▼街区方式による住居表示の実施基準 別紙4 (官報 昭和38(1963)年7月30日)

19630730_p20

▽住居番号表示板(例)

Dsc_0050_50pc

###

そこで、現在の上高田一~五丁目の住居表示が実施された告示を見てみると…

▼自治省告示第93号 (官報 昭和41(1966)年5月27日)

19660527_xp2





わかりにくいのでテキストも。Wikipediaの記述とは異なり、住居表示前から上高田は一丁目から五丁目まで存在することになっています。

一 団 体 名 東京都中野区

二 実施期日 昭和四十一年二月一日

三 実施区域

                                           
 

町名

 
 

住居表示実施前の町名等

 
 

上高田一丁目

 
 

上高田一丁目の全域、昭和通一丁目の一部、昭和通二丁目の一部

 
 

上高田二丁目

 
 

上高田二丁目の全域、昭和通三丁目の一部

 
 

上高田三丁目

 
 

上高田三丁目の全域

 
 

上高田四丁目

 
 

上高田四丁目の全域

 
 

上高田五丁目

 
 

上高田五丁目の全域

 
 

新井一丁目

 
 

新井町一丁目の全域、昭和通三丁目の一部

 
 

新井二丁目

 
 

新井町二丁目の全域、野方町二丁目の一部

 
 

新井三丁目

 
 

新井町三丁目の一部、野方町二丁目の一部

 
 

新井四丁目

 
 

新井町三丁目の一部、新井町四丁目の一部

 
 

新井五丁目

 
 

新井町四丁目の一部

 

さらに、手許にある1964(昭和39)年の地図を見てみました。住居表示実施前ですが、上高田は一丁目から五丁目まであります。

Kamitakada1964

これで、この記事の最初に示した門標が、1966(昭和41)年以後のものではなく、それ以前にも存在しうることがわかりました。

では、上高田が一~二丁目から一~五丁目に変わったのはいつで、どうでしてなのか、というのが気になります。そこで、今度は官報検索サービスで、「中野区 上高田」だけをキーワードで検索、結果の一覧で上高田の三~五丁目を探してみます。

すると、こんな記事が見つかりました。住居表示実施の5年前に、すでに上高田三丁目が存在していたのです。

▼合併広告 (官報 昭和36(1961)年10月27日)

○会社その他の公告
合併公告
昭和三十六年十月二十日開催の下記会社株主総会に於て(甲)ホーム食品工業株式会社を(乙)黒田電工株式会社が吸収合併してその権利義務を承継し従つて(甲)ホーム食品工業株式会社は、解散する旨になつたことに決議したので右に対して異議のある債権者は、本公告掲載の日から二箇月以内にその旨を申し出られたい。
右商法の規定に従つて公告する。
昭和三十六年十月二十七日
東京都中野区上高田三の二九番地
(甲)ホーム食品工業株式会社
東京都中野区江古田一の二二九四番地
(乙)黒田電工株式会社

19611027_p591_2

さらに、同じ検索結果の少し前に、こんな記事を見つけました。何らかの事情で自身が営んでいた旅行代理店をたたむことになったので、都に預けてある保証金を返してもらいますが・・・という、いまでもよく見かけるものですが、住所に続いて「(区画整理に依り番地変更)」との記述があります。おそらくこの時期に上高田では区画整理が行われ、このときに町名・地番の見直しがあったんでしょう。

▼旅行あつ旋業営業保証金取戻し公告 (官報 昭和36(1961)年8月10日)

旅行あつ旋業営業保証金取#し公告
旅行あつ旋業法第二十一条及び旅行あつ旋業者営業保証金規則第七条の規定により次のように公告します。
昭和三十六年八月十日
中野区上高田二の九(区画整理に依り番地変更) 武谷 良治
一、(一)登録番号 東京都知事登録邦人第五四号
(二)住所及氏名 東京都中野区上高田二の九武谷良治
(三)商号 交友旅行社
(四)主たる営業所の位置及名称 東京都中野区上高田二の九交友旅行社
二、(一)登録年月日 昭和二十八年一月十二日
(二)登録まつ消年月日 昭和三十六年五月十一日
三、営業保証金の額 金五万円也
四、前号の営業保証金につき旅行あつ旋業法第十七条第一項の権利を有する者は、本公告の日から六箇月以内にその債権の額及び債権発生の原因たる事実並びに住所及び氏名又は名称を記載した申出書二通を東京都オリンピツク準備局観光部に提出して下さい。
五、申出書の提出がないときは、営業保証金は取りもどされます。
19610810_p246

そこで、中野区役所のホームページで「上高田 区画整理」で検索すると、このような資料に行き当たりました。1961(昭和36)年6月20日に「上高田の新町名地番実施」とあります。

▼中野区のおいたち (部分)

Nakanokunooitachi19551964


中野区勢概要 平成27年度版(2015年度版)
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d010287.html
中野区のおいたち
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d010287_d/fil/06furoku.pdf

###

もう、これで決まり!でいいでしょう。この記事の先頭の門標は、1961(昭和36)年から1966(昭和41)年の間(おそらくはその最初の年)に設置されたもの、といっていいと思います。

これらの古い様式の表示板はたまに見かけるのですが、住居表示実施前のものだったり、あと(のように見える)ものだったりがあって、時期が特定できないでいました。これで、ほぼ確実に住居表示実施前のものだということがわかり、大いにすっきりしました。なんの役にも立たないけど・・・

 

 

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