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2018年3月

2018年3月16日 (金)

【昼暗渠】最勝寺の北側の水路跡

(承前) 【昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その2
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/2-638d.html

中井駅の近くで妙正寺川に合流する支川については、上記の記事にあるとおりです。わりと最近(といっても5~60年前)の地図で水路を示す水色の線があるものは、たいていは容易にたどることができます。【地図1】の緑色の線がそれにあたります。

【地図1】

Nakai1

この支川には、さらに時代を遡るといくつかの支流があることがわかっています。上の地図では、緑色の線が妙正寺川に合流する手前でほぼ直角に曲がるところから、東の方に伸びている青色の細い線はそのひとつ。この支川は戦後(5~60年前)の地図にも、戦前のにも描かれておらず・・・

【地図2】

Nakai1taisho

大正期の地図まで戻って、ようやく現れます。【地図2】のA-B-F-Gの線がそれにあたります。このあたり、妙正寺川に向かって斜面になっているところで、現在は民家がびっしり建っていますが、この頃は川の両側はほとんど田んぼですね。

こんな古い水路の痕跡なんて、もう見つけることは無理だろう、と思っていたのですが、仕事場の行き帰りや昼休みに出歩くと、どうも怪しいポイントがちらほら・・・試しに地図の重ね合わせを細かくやってみると、どうも行けるんじゃないか、と。

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で、まずは、緑色の線がほぼ直角に曲がる部分。東方向。右(北方向)に妙正寺川。右手の段差に沿って水路があったものと思われます。

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これをまっすぐ進むわけにはいかないので迂回すると…

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説明しづらいので、先にまとめの地図を。A-B間は通れないので、北側を迂回します。

【地図3】

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すると、手前の民家と奥の段差(石垣)の間に空間が。

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ここまでの写真では、いまひとつわかりにくいかもしれませんが、【地図3】のB地点から見ると(西方向)、民家と段差の間に、明らかに区切られた空間があります。手前が下流にあたるので、標高差の説明がつきませんが、最近建てられた建物の裏に当たる部分は、補強のためのかさ上げをしているのかな、と想像してみます。

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このスキマの空間の所有がどうなっているのかは、さっぱりわかりません。

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B地点からC地点へ(北方向)は下り坂。左側に側溝がありますが、水路は左手前から右方向へ(あるいは右端に)流れていたのではないか、と。

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C地点まで降りたところ。

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その右端。なんとなく水路跡の雰囲気。右側は一段高くなっています。

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この駐車場の部分は直接に見ることができますが・・・

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段差は、落合第五小学校の敷地になってたどることはできなくなります。【地図3】C-D間の点線の部分です。

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学校の南側を迂回してD地点へ。

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ニャン渠

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D地点から西方向。校庭の南側の段差に接するところが、たぶん水路跡。左手からの流れが、中央の木のあたりで手前にほぼ直角に曲がっていた、と思われる。

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D地点から落合第五小学校の裏門に降りてきたところ。右の方(東方向)に、山手通りをくぐる通路があるのですが、水路はここを通っていたのではなさそう。

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D地点から山手通りの向こう側(東方向)を見たところ。ここからは、水路がどう通っていたのか、判然としません。

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ということで、山手通りを渡って見ると、なんとなく雰囲気が。E地点。

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左側(南方向)は一段高くなっています。東京信用金庫中井駅前支店を含むマンション。

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その北側のマンションの敷地に吸い込まれて、たどることはできません。

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かなり遠回りして、中井駅北口の通りに。商品が陳列されていてわかりにくいのですが、たぶん、右側の青果店と左側(南側)のマンションの間が水路跡ではないか、と。F地点。

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段差をのぞき込むがスキマはもはやありません。

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F地点から中井駅方向(北方向)へはなだらか下り坂。水路は左側にあったと思われます。心なしか、道が左方向に膨らんでいるような…

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寺斉橋を渡って妙正寺川の対岸からG地点を見たところ(南方向)。F地点からG地点に至ったところに樋管が見えます。ふさがれてしまっていますが。

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橋の下の樋管は現役。あるいは洪水対策で地下神殿に通じる排水口?

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近くにもう1個、低い位置に樋管がありますが、大江戸線の漏水を流しているとのことです。

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D地点に戻って位置を確認。背後の落合第五小学校の校庭の南端からまっすぐに山手通りを突っ切り、右の東京信用金庫と左の民家の間につながっていたものと思います。

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かなり昔に消滅した水路の痕跡を、ほぼほぼ全線で見つけることができたのは予想外でした。

2018年3月11日 (日)

【昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その3

(承前)【昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その2
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/2-638d.html

上の記事で、「大正あたりまで遡ると、それ以外にも黄色の線のような水路があったようです。といっても宅地化する前なので、どの程度痕跡があるものか。」と書きましたが、どうにも気になって、雨が降りそうなのに確認に行ってきました。

下の地図で、緑色の線に黄色の線がくっついているところです。

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▼緑色の線が突き当たりで右(東)に直角に曲がるところ。

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▽突き当たりの建物と手前の建物の間にスキマが。西方向。

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▽幅的にも道義的にもここを通る勇気はないなー。

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▼ということで、大回りして反対側に。東方向。

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▽左側は新宿区、右側は私有地の境界標。

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▽少し奥に入ったところの右側にある境界標は新宿区。

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▽ということは、この舗装の部分は新宿区道。とはいうものの、左側の民家からは丸見えで、とても通り抜ける気にはなれません。

しかし、緑色の線だけでなく黄色の線(水路)についても、痕跡があることがわかりました。角の所はいつも車が止まっていて、先週通過したときも、その奥は気にしたことがありませんでした。きょうは車が止まっていなかったのが幸いしました。

舗装も塀も金網も、最近のもののようですが、数年前に一度来たときは、どんな状態だったのか…

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▼その「新宿区道」を抜けたところから反対側を見たところ。西方向。こちらは通り抜けられる様子ではありません。

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▽迂回して反対側に向かう途中。このあたり、山の斜面を削った所ですが、奥の段差のところが水路跡か?

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▽反対側に回ったところ。東方向。上の写真の灰色の壁の上の部分です。

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▼その反対側。西方向。なにやら妙な扉が。

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▽扉の用をなさない。

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▽蓋がけ暗渠?

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▽塀の手前に水路が。南方向。塀の向こうは民間のマンション。手前は都有地。以前は以前は都営住宅があったようです。といっても集合住宅ではなく木造の1戸建て。現在は、都営上高田四丁目アパートに姿を変えています。

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▽立ち入り禁止の空き地を迂回したところ。東方向。

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▽立入禁止ではないので歩くことはできますが、通り抜けるのは困難。

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▽西方向。歩けます。右側は民間のアパート。

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▽ここから先も進むことはできそうですが…

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▽なにかの作業場のようです。

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▽ここでまた空き地(都有地)を迂回。

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▽反対側に。東方向。

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▽同じ地点で西方向。この塀の先は(旧)住宅・都市整備公団が建てた上高田4丁目団地。ここから先は痕跡はなさそう。

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▽同じ地点で南方向。山の上は寺院や墓地のなかに住宅が点在するところ。

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なんともないようですが、この時点でかなり強い雨が降っています。きょうはここで中断。

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▼この記事でたどったところを、goo地図に線を引いてみました。

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A-B間が私有地のスキマの新宿区道。C-D間が都有地の蓋がけ暗渠。

▼最近の航空写真。C-D間の南側は民間のマンション。その南は寺院と墓地。暗渠と民間のマンションのスキマに民間のアパートが数棟。

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▼1963年の航空写真。上の写真のマンションのうち、中央の一棟がすでに完成していた様子。暗渠の北側は家屋がびっしり。たぶん都営住宅です。いまでは想像つきにくいですが、木造1戸建ての都営住宅が、30年ぐらい前まではまだあちこちにありました。いまではほとんど鉄筋コンクリートの集合住宅に建て替えられてしまいましたが。

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▼1947年の航空写真。すでにこの時点で妙正寺川の流路整備は完了しています。青色の線は水路跡の一部で、今回痕跡があることを期待して引いたのですが、それとして見つけることはできませんでした。

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翌日、雨も上がり、改めて周辺を歩いてみましたが、これ以外の痕跡はなさそうです。民家やアパートの敷地のかたちに、なんとなーくそのような雰囲気がなくもないですが、立ち入ることができない場所だったりして、確認はできません。

そもそも、黄色の線が地図に現れるのは100年も前のことで、このあたり一面が水田だった頃の話。民家の敷地のスキマのような区道だったり、側溝のような蓋がけ暗渠を見つけることができただけでも、とても心躍るような出来事でした。

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おまけのニャン渠。塀のスキマで偶然目が合ったフッサフサ。

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▽風邪引き猫。すんごくかわいい声で鳴く。

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2018年3月 4日 (日)

少額短期保険業者のリストを更新しました

少額短期保険業者のリストを更新しました。
http://egotadp.biz/insurance/shogaku.htm

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▼Next少額短期保険(株)

昨年11月の登録で扱い種目は「家財・賠責」となっていますが、ホームページは未開設。
e-Net少短などと同じくあいおいニッセイ同和の系列のようです。

あいおいニッセイ同和損保の関連事業会社
https://www.aioinissaydowa.co.jp/corporate/about/associate.html

▼USEN少額短期保険(株)

USENの子会社。「USENの業務店の物件を扱うものと思いましたが、それだけではなく、店舗開業支援事業の顧客も対象にするのかもしれません。」と予想してましたが、その通りで、店舗の損害補償、賠償責任をカバーする商品を売り出しています。

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ところで、この「お店のあんしん保険」は、申込の手続がネットで完結するとのことです。

金融庁は損害保険会社に対しては、火災保険のネット販売を、かたくなまでに認めていません。おそらく、過去の(といってもかなり昔の)不祥事がその背景にあると思うのですが、少額短期保険業者には、あっさり認めてしまったようです。

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USEN-NEXT グループ 保険事業に参入
業務リスク特約により、店舗の損害を総合的に補償する画期的な商品を販売
インターネット完結 型の申込サイトも開設
http://www.usen.com/news/cms_data/news/images/2018/20180216_247_15.pdf

インターネットで申込みが完結できる
「お店のあんしん保険」WEBサイト開設のお知らせ
https://usen-ssi.co.jp/pdf/news_20180227.pdf

▽お店のあんしん保険 (USEN少短)

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以前リストを更新した思い至らなかったのですが、昨年8月登録のパーソナル少短の賃貸物件を対象にした家財・賠責の商品は、申込手続がネットで完結するようになっているようです。

▽賃貸保険ダイレクト (パーソナル少短)

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このような商品は、損害保険会社が不動産(賃貸・仲介)業者を代理店にして、そこが扱う物件にかける、というのが一般的。一歩進んで不動産業者が自身で少短会社を作って、というところ。これらの会社は、それらの頭越しに募集するものです。

火災保険のネット販売が、今後損保会社にも認められるものなのかどうか、まったくわかりませんが、賃貸物件を対象にした商品の販売は、大きく変わっていくかもしれません。

▼(株)リロ少額短期保険

ホームページ未開設。家財・賠責を扱うとのこと。企業の福利厚生事業を代行するリログループの子会社のようです。

「リロ少短」といえば、少短のできはじめの頃、2008(平成20)年にリロ少額短期保険(株)が設立され、上記の福利厚生事業代行の一環としての「弔慰見舞金」をカバーする商品を扱っていましたが、2011年に光通信に譲渡してしまいました。現在のさくら少短です。

新しい会社は、おそらく現在の主力事業である不動産事業で扱う物件にかける保険を、自身で引き受けようとするものと思われます。

【昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その2

(承前) 昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その1
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-47ed.html

上記の記事の続き、道が二又になっているところから妙正寺川の合流点に向かうルートです。なお、日程はこちらが先。その1が後です。

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▼楽にたどれるのは暗渠になった直前の緑色の線。大正あたりまで遡ると、それ以外にも黄色の線のような水路があったようです。といっても宅地化する前なので、どの程度痕跡があるものか。

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▼二又の道のところ。白桜小学校を背にして見たところ。左の2階建てのお宅と右のアパートの間に水路が通っていましたが、幅はわかりません。

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▽二又の道のところは上高田一丁目交差点。

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大正期の地図ではすでに二又になっていますが、左の道が元々あって、右の道が後からできたようです。

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▽前回歩いたときもそうですが、この二又から下流川が、紛らわしい細道がいくつかあって、迷いました。

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▽上の写真の裏側。上流方向に向かって写しています。

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境界標から川幅を推測しようとしましたが、無理そう。

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▼ここからは下流(合流点)方向の写真が続きます。

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▽左の塀は中野区、右の建物は新宿区。

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新宿区管理地(たぶん区道)であることを示す境界標二種。

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▽突然現れる「橋梁」。落合斎場の敷地内です。

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▼ここで水路跡は右(東)にほぼ直角に曲がります。上の地図で、緑色の線に黄色の線が交わるあたりです。

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▽ここからしばらくは広い道路と一体化して、水路跡の雰囲気は薄まります。

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道の右(南)側に水路が流れていたか、と思われます。

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道路と一体化して水路跡の雰囲気はありませんが、緩やかなカーブに名残が。

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▼再び道幅が狭くなって、水路跡らしくなってきます。

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▼ゴール目前。突き当たりは妙正寺川です。

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▼妙正寺川に到達。

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▼妙正寺川を渡って合流点を見たところ。樋管でもあるかな、と思われたんですが、完全にふさがれてます。

塗り込められた跡を見ると大きめの四角、中央に小さめの丸。四角は開渠の頃の痕跡、丸は暗渠になって樋管を通していたときの痕跡。その後下水道が整備されて、(この部分に関しては)暗渠としての機能もいらなくなった、か。いまのところはすべて妄想です。

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いまの住所に引っ越す前は中野区に住んでいて、中野区内の江古田川、妙正寺川、神田川の支流は(手持ちの地図でわかる範囲で)すべて歩き通しましたが、かつて歩いた道(=水路跡)を改めて歩いて、その楽しさは変わっていませんでした。

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ところで、今回は上の地図の緑色の線を歩きました。黄色の線の水路があったのはかなり昔で、痕跡はどうか、みたいに書きましたが、地図をよく見ると、歩けるかどうかは別にしてなにやら浮かび上がってきそうです。

また、妙正寺川の流路整備もずいぶん昔のことですが、こちらの痕跡もあちこちにありそうです。来週は、このあたりを見てみようか、と思ってます。

2018年3月 3日 (土)

【昼暗渠】妙正寺川支川(中井駅付近で合流) その1

今週の昼休み暗渠は、妙正寺川の支川です。例によって、東京時層地図を拝借。左下から右上にかけての水色の線がそれにあたります。

Tsugihagi

この水路跡は、数年前に通しで歩いています。そのときは別の地図(1963(昭和38)年の都市計画地図・中野区)を参考にしました。そのときのスタートは中野五丁目の柳通りで、「えっ? ここ?」みたいな細い道を、中井駅のすぐ近くまで歩いたのでした。

東京時層地図の「高度成長期前夜」では、上図の区間が開渠として示されています。実際、昼休みに行って戻ってくるには、この程度が限界でしょう。

上図のちょうど真ん中あたりに道が二又に分かれるところがあります。ここを境に、左端の天徳院の裏手からこの二又までを1日、二又から中井駅付近の合流点までを1日でたどる計画です。

一度たどったコースではありますが、明治~大正~戦後で、流路も微妙に変わっているようにも思われ、念のため地図を用意しました。

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猫と暗渠。ニャン渠。

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地図にある天徳院の裏手に向かってみると、いきなり前回とは違う風景が…

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こんな階段、あったっけ? 右の石垣、排水を落としていた形跡。この階段そのものが水路跡?

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階段を降りると直角に右折。角は完全にふさがった状態。

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そしてまた階段。

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右(南)の石垣に沿って細い道が続いてますが、以前歩いた道はもう一本北にある細い道。

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▼現在の地図に線を引いてみた。現在の地図に関してはiPadの地図(iOS付属の地図)は使い物にならないので、goo地図(元ネタはゼンリン)を拝借。

上の写真の位置は、赤色の線の左端。青色の線は前回歩いた道。

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▼明治期、大正期、戦後期の水路を、地理院地図に重ねたところ。地図の誤差や画像を重ねたときのずれもあろうが、水路の位置が多少移動したのは間違いないと思われ、上手の赤色の線も青色の線も、どちらも水路跡と思われます。

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ということで、今回は、赤色の線を歩くことにします。このあたりは、明治から大正にかけて都心部から移ってきた寺院が多いところで、右の石垣の上は墓地です。

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▼細い道が水路跡らしいカーブを描きながら続いており、突き当たりに。上のgoo地図の赤色の線の右端にあたります。

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▽アパートの敷地に入るわけにはいきません。石垣に沿って水路が続いていたようにも見えますが、この先は上の敷地が張り出していて、ここで左(北)に折れて青色の線に合流すると見るのが自然かもしれません。

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▼goo地図の青色の線の左端。ここで水路は区立白桜小学校(旧・中野昭和小学校)の敷地に吸い込まれています。ここからしばらくは歩いてたどることはできません。

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▼ぐるっと回って学校の敷地の東側に。突き当たりは民家の庭。その向こうが学校の校庭です。水路は学校の校庭の南端を通って、ここにつながっていたはずです。

ここまでの写真は下流方向を向いて写したものですが、ここから後は上流方向を向いて写しています。

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なんとなく、水辺だった風情。

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いまは使われていない石段。

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▼上の写真の反対側。下流方向。最初の地図で道が二股に分かれているところです。この部分は左のお宅の敷地になっていて通ることはできません。

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この日はここまで。続きは別の記事で。

暗渠が、道路と一体化して跡形もなくなっているのは残念ですが、緑道公園になって、以前は川だったんですよ、というのも楽しみが薄れるような気がします。

妙正寺川につながっているというだけで、名前があったのかどうかもわからない水路跡ですが、地図にも、実際にも、かつて川だったけど、いまは内緒、という雰囲気が感じられる、このぐらいの暗渠が、歩いていても一番楽しく思われます。

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