釜屋堀工場(日本石油精製→小倉石油)
以前、石油元売の変遷図を作ったときに、いくつかわからない箇所があって、これもそのひとつ。
小倉石油店は、のち小倉石油(株)になり、1941年に日本石油(株)に合併されます。日石の社史で、「1895(明治28)年に、日本石油精製の釜屋堀工場を買収。」とあり、それに基づいて上図のようにしました。
四角の中には会社名を入れたいのですが、当時「日本石油精製」(1951年に設立された会社とは別)についてはさっぱりわからず、釜屋堀工場についても、場所すらわからなかったような気がします。やむなく上図のように、四角の中には工場名を、会社名は括弧書きにせざるを得ませんでした。
先日参加したフィールドワーク「関東震災時 朝鮮人虐殺地を歩く」で、本筋とは関係ないですが江東区大島の当時の様子を紹介するものとして、「小倉石油株式会社東京製油所」の写真が紹介され、変遷図のことを思い出しました。
このあたりの昔の地図を見ると、確かにあります。猿江恩賜公園の川を挟んで東側。
そこで、不意に思いあたって、以前から手許にある「川の地図辞典 江戸・東京/23区編」をみると、ありました、「釜屋堀」が。なんで当時この本にあたらなかったのか…同書によれば、横十間川の別名として「竪川から小名木川の間を釜屋堀ともいう」とあります。フィールドワークで紹介された写真は、間違いなく「釜屋堀工場」です。
さらに、国立国会図書館のデジタルライブラリで検索すると・・・あっさり見つかりました。
▼村上太三郎伝(1939)
ダウンロード - e69d91e4b88ae5a4aae4b889e9838ee4bc9d_pp28028228e697a5e69cace79fb3e6b2b9e7b2bee8a3bd29.pdf
▼日本石油史(1914)
ダウンロード - e697a5e69cace79fb3e6b2b9e58fb2_pp626428e794b0e4bba3e8998ee4ba8ce9838e29.pdf
▼明治工業史・鉱業編(1931)
ダウンロード - e6988ee6b2bbe5b7a5e6a5ade58fb2e383bbe989b1e6a5ade7b7a8_pp934935.pdf
よれば、日本石油精製(株)は、1896(明治29)年10月に設立、釜屋堀の田代虎二郎の製油所跡地(以前は火止油、灯台油を製造)に石油精製所をもうけたもの。日本石油精製の設立には小倉常吉らが関わっているが、釜屋堀工場は後に小倉の個人経営に移行し、会社は新潟に生産の本拠居を移したものの、経営不振で解散、とあります。
変遷図を作った頃にはデジタル化されてなかったのかなー?
ともかくも、変遷図は下記のように修正しました。
変遷図の全体は、こちらにアップしています。
« 【ぷち暗渠】谷端川の支流 | トップページ | 【神谷町界隈】旧麻布郵便局(旧逓信省簡易保険局)と我善坊町 »
「水辺を歩く」カテゴリの記事
- 【ぷち暗渠】南長崎5丁目の暗渠(2020.04.16)
- 【ぷち暗渠】長崎3丁目暗渠(谷端川)(2020.04.16)
- 【ぷち暗渠】旧籾山牧場の水路跡(旧千川上水→妙正寺川)(2020.04.12)
- 【ぷち暗渠】南長崎1丁目の暗渠(2020.04.08)
- 釜屋堀工場(日本石油精製→小倉石油)(2019.06.08)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント