水辺を歩く

2018年2月18日 (日)

【お昼休みに暗渠】神田川(旧神田上水)の流路変更

(承前)

【お昼休みに暗渠】谷戸川の支川
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-284a.html
【お昼休みに暗渠】中野区小滝町の煙突
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-8ff0.html

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痕跡を見つけるのが難しそうな谷戸川の支川をたどるために、新旧の地図を見比べていて気づいたのですが、神田川(旧・神田上水)の流路変更の名残がいまに残っているように見受けられました。

▽左は大正期、右は戦前期の地図。流路変更は戦前にはほぼ終わっていて、旧・東中野小学校(現在、中野三中があるところ)は、だだっ広いはらっぱだったそうです。

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▽戦前期の地図にある変更前の流路の名残をなぞって、戦後期の地図と合成。緑色の線のあたり、旧流路の内側が空き地のままだったり、旧流路の部分を避けて建物が建っていたり。

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▽最近の地図と合成。新宿区側は旧流路の面影はなさそう。一方、中野区側は、建物の向きが、神田川を基準にして平行でなかったり、垂直でなかったり。

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▼戦前期の地図につけた「流路変更(1)」のところ。写真が下手でイヤになりますが、左のマンションは、湾曲した造りになっています。

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▽網の右側は神田川沿いの遊歩道。マンションの敷地との外周との間にスキマが。

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▽「流路変更(1)」の旧流路の内側は、現在は駐車場。

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▽こちらのマンションも、神田川に平行にはなっていません。

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▽公園ではなく、マンションの庭。マンションとは生け垣で区切られています。 

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▽「流路変更(1)」の北の端から南の方を写したもの。左の歩道は現在の神田川に沿ったもの。庭の生け垣と駐車場の塀が、旧流路の名残になっています。

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▼「流路変更(2)」の部分。私有地の境界のブロック塀が湾曲しているのがわかります。旧流路の名残。

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▽ただ、(1)と違って、神田川の側からは全体が見通せません。建物が、神田川に対して垂直になっていないのだけはわかります。

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▽建物の正面に回ってみました。正面の白い建物が、旧流路の内側にあるもの。右の建物と平行になってません。

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▽2つ上の写真のブロック塀の続き。わかりにくいですが、湾曲してます。

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なにぶんマンションの敷地内なので、パシャパシャ取るわけにも行かず、このぐらいが限界か、と。

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地図には印は付けていませんが、別の記事で書いたJRの独身寮と中野三中の敷地も、旧流路の影響を受けています。

▼左の建物はJR独身寮。このわずかなくぼみが旧流路の名残。正面は中野三中。左下に境界標が見えますが…

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▽新宿区の境界標。これより下が区有地もしくは区管理地であることを示しているのですが、遊歩道の縁から約1メートル外側に食い込んでいます。旧流路の内側が、誰にも払い下げられず国有地→区管理のままになっちゃった、ということでしょう。

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▽2つ上の写真の続き。中野三中の校庭に向かって、JR寮の塀が続いています。

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▽少し引いた写真。土地の境目が不自然なのは、そういう理由がありました。

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廃川跡ではなく、流路変更の跡をたどったのは、実は今回が初めてです。江古田川や妙正寺川でも、そういう場所がいくつもあるのを知っていますが、戦前に流路が変更されたところは、道路、住宅になって定着してしまっていて、道がくねくねしている、という以外に見所に乏しいように感じていたためです。

今回、最近の地図で建物の向きが変、というのにようやく気づいて、そういう痕跡を探す楽しさを覚えました。

2018年2月12日 (月)

【お昼休みに暗渠】谷戸川の支川

神田川の支川の桃園川、の支川の谷戸川、のそのまた支川は、分岐点からJR中央線の線路の南のあたりまでは、その痕跡がはっきりしていてたどって楽しいルートです。

そこから北の部分は、暗渠になった時期が相当古い(おそらく戦前)ようで、面影はほとんどありません。今回は、「東京時層地図」にかなりお世話になりました。

▼戦前期

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▼戦後期

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▼現在

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地図左下の青色になぞった線が、谷戸川の支川です。現在の地図で、青色の線の上端のあたりにある郵便局の記号は東中野郵便局、学校の記号は(現在は)区立中野三中を示します。戦前の地図では、水路を示す水色の線がこのあたりまで延びています(戦後の地図では消えています)。

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ちなみに「(現在は)区立中野三中」と書いたのは、戦前にこの場所にあったのは、旧・区立東中野小学校だからです。当時の東中野小学校(東中野尋常小学校)は1937(昭和7)年に開校。1945(昭和20)年5月25日夜の空襲(山の手大空襲)で消失、1946(昭和21)年3月に閉校になりました。

その後、1956(昭和31)年に、元の場所の少し北の所に新たに東中野小学校が開校しますが、2009(平成21)年の学校再編で、これも閉校になってしまいました。

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このように、ルートは地図で確認するしかなさそうなので、しっかり印刷して出かけます。

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▼東中野駅東口の北側の階段を降り、新宿寄りにある階段をさらに降りると・・・

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▼桐ヶ谷ガード。水路もこのガードをくぐっていたのかどうか…

【訂正】桐ヶ谷ガードが道路として使われるようになったのは1962(昭和37)年のことだそうで、そのときにはとっくに暗渠になっていたはず。ということは、水路がこのガードをくぐることはなかったでしょう。取り急ぎ訂正です。

【中野の歴史10-2】東中野駅、開かずの踏切30年物語
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/category/walking/history/43037

まちの歴史 | 東中野四丁目町会
http://city.higashinakano4.jp/history.html

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▼なぜ過去のあたりの写真が少ない・・・桐ヶ谷ガードから日本閣の脇を抜けたところから南側を写したもの。このあたり(たぶん左側の歩道のあたり)に水路があった、はず。

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▼同じ地点で北側を写したもの。全体に左から右に傾斜しています。右に進むと神田川に突き当たります。正面、横断歩道の先に数人の人がいるあたりに水路が続いていた、はず。ちなみに、角のお店は話題のラーメン店のようで、入店待ちのお客さんが待機しているのです。

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▼ここから先は、なだらかなカーブと・・・

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▼道路の東側の土地が、道路より一段下がっていることのほかに、水路跡だと言うことを想像させるものはありません。

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▽けやき公園。水路跡と言っていいのは、せいぜいこのあたりまで、かも。

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▼ただ、この少し先に「水神之碑」という石碑があります。

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▽碑が建てられたのは昭和36年(1961年)。谷戸川支川はとっくに暗渠になっていたはず。一方、神田川の流路修正はおそらくこの頃なので、どちらかというとそちらに合わせて建てられたもののような気がします。

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・・・このように、なんとも締まりのない水路行となりましたが、今回下調べの過程でいろいろわかったこと、実際にこの周辺を歩いてみてわかったことがいくつかありますので、それらのついては別の記事で。先週は、5回の昼休みのうち3回を、このあたりの探索に費やしたのでした。上の地図は、その別の記事でも使います。

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東中野今昔物語
http://higanaka.sakura.ne.jp/konjak.html
http://higanaka.sakura.ne.jp/konjak/konjak001.pdf

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【2018/2/18追記】

桐ヶ谷ガードの件、東中野駅は通勤でずいぶん使って、新宿寄りのホームの端から見える踏切らしきものも、何百回も見ているのに、何も疑問に思ってませんでした。あれが旧・桐ヶ谷踏切の名残だったんですね。

▼線路の北側から南方向。下り快速が通過中。

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▽線路の向こう、右側の白い建物が交番。たぶん昔と場所は変わってないのでは。

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▽ホームの端が見えます。北側はフェンスで出入りはできませんが、南側には門があって出入りができるようになっています。工事用車両の出入り口だと思っていたのですが。

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▽踏切の跡だったんですね。

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【お昼休みに暗渠】中野区小滝町の煙突

(承前) 【お昼休みに暗渠】谷戸川の支川
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-284a.html

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暗渠につきものの銭湯ですが、谷戸川の支川(中央線以北)のそばには、2本の煙突が見えます。地図記号としてはあくまで「煙突」なので、直ちに銭湯とはいえません。この2本の煙突については、ちょこっと調べたぐらいではわかりませんでした。

このあたりの神田川のそばは工場が立地していたようで、工場の煙突ではないかとみています。

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▼煙突(1)のあたり。東方向を向いて写しています。左奥は亀齢(きれい)橋。

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▽少し進んで西方向の写真。この道だけ、どういうわけか鍵の手になっています。「ここ、昔銭湯だったんだよ」って言われたら信じちゃいそうなロケーション。

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▽鍵の手の突き当たりの所とそこの向かいのマンションの名前を見るとわかるのですが、以前は「百万石醸造」の工場があったようです。いまでも本社がここにあります。その工場の煙突だったのでしょう。

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▽神田川に接するあたり。うーん、なんとも・・・

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▼もう1箇所は、いまはJRの独身寮。

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▽谷戸川の支流と神田川をつなぐ水路があった、というような記述を見かけるのですが、ここもそうだったのか?

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▽革靴というのがなんとも昼休み。このぐらいの幅で境界標が設置されていると、水路跡!と思ってしまう所なんですが…

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▽・・・たぶん違う。上の境界標から伸びたところは、バイクが置かれている未舗装の部分。それとは別に暗渠のふた。ということは、上の境界標は水路とは無関係、かと。

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▽この建物の前も、おそらくJR(旧・国鉄)の何かがあったところだと思います。銭湯ではなさそう。

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▽水路の跡が神田川に向かって続いています。

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▽突き当たりは神田川の護岸。この付近、神田川(旧・神田上水)の流路変更があったところで、この建物もそうですが、その痕跡を見ることもできます。それについては別の記事で。

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▽あと、この道路はJRの敷地と私有地の境界になっているのですが、境界標は複雑に設置されていて、簡単ではなさそう。写真はたくさん撮りましたが、素人がどうこう言えるようなものではないようです。でも、気になる。

2018年2月11日 (日)

【暗渠】えんが堀 (西武池袋線以南)

(承前)2016年8月16日(火) えんが堀(南の半分)
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.803501199786913.1073741857.100003811201990&type=1&l=b9400252f8
https://www.facebook.com/plugins/post.php?href=
https://www.facebook.com/mochizuki.kazuo/posts/804277346375965
http://egotadp.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-c8e5.html

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2016年8月に、たまたま「えんが堀」らしき水路跡らしきものに遭遇。そのときの写真をアップし、地図も作ってアップしました。そのときの地図。

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当時答え合わせに使った「川の地図辞典」でも、起点は西武池袋線の線路のあたりになってました。その起点に接するように、線路際の側溝がつながっていて、暗渠になる直前のルートはこのようなものだったのかな? と推測していました。これが地図の青色の点線の部分です。

ただ、西武池袋線の開通は1915(大正4)年のことで、それでもって流路が変更されるというのもおかしな話です。

記事をアップしたあと気になって、9月に線路の南側に向かってみました。すると、はっきりした水路の痕跡があり、南東方向に続いているのを見つけました。

▼線路の南側から北西方向。電柱が斜めに並んでいるのが、前回たどった終点=水路の起点のあたりです。

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▼少し引いた写真。線路の下をを斜めに横切っていたはずです。

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▼そのまま後ろを振り返ったところ。右奥に細い通路が続いています。

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▼南東方向に続いています。

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▼緩やかなカーブとマンホール。

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▼写真ではわかりにくいのですが、正面の建物の敷地も緩やかにカーブしてます。

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▼土地の境界標が、若干込み入って設置されてます。点線Aより右は豊島区道。では、点線と点線の間は・・・?

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▼とりあえず、元は水路であったであろう通路が続いています。

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▽このときは珍しく自転車。コインランドリーで乾燥機を使っている間の30分で確認に行ったのでした。

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▽左は駐車場。舗装の色が微妙に違う部分が水路跡。

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▽道路の縁石の途切れ具合がなんとも微妙。というのもこの水路跡は、豊島区と練馬区の区境でもあるのです。

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▽その微妙な部分の拡大。点線Aより上は練馬区。点線Bより下は豊島区。点線の間は水路跡。水路跡だから、いまでも国有地?

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★猫と暗渠

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▽ゴールが近いのを思わせる雰囲気。

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▼ゴールです。

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▼千川通りです。そうです。水路跡は旧千川上水につながっていたのでした。

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ゴール・・・と思ったのは実は微妙に間違いで・・・今回歩いたのは緑色の矢印の部分です。地図は「東京時層地図」から拝借の戦前のものです。

水路跡が、千川通りに突き当たったところで旧千川上水に合流していたと思ったのですが、水路はそこで左折。千川通りが直角に曲がるあたりで合流していたのでした。ただ、旧千川上水も、えんが堀の延長部分も、今となってはまったくその痕跡を見つけることはできません。

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引用した地図が戦前(1930年ごろ)のものなのも、延長部分が記載されているのはこの頃のものだけで、戦後(1960年頃)のものでは、えんが堀は西武池袋線以南だけでなく、線路から北の方にしばらく行ったところまで、すでに暗渠になっていたようでした。

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・・・ということで、えんが堀の南半分について、再確認までしたのに記事が曖昧なままになっていたのが、ずっと気になっていたのですが、ホッとしました。

あとは、まだそれとして見に行ってはいない北半分を訪れたいと思います。

ただ、支流がいくつかあるのと、上の地図を見てもわかるとおり、時代によってどの川に接していたか、変遷があるようです。行き当たりばったりじゃなくて、下調べが必要なようです。












2018年2月 6日 (火)

【お昼休みに暗渠】谷戸川(の一部)

それとして水路や暗渠を歩くのも、最近は難しいのですが(時間的に、体力的に)、昼休みに歩ける範囲にいくつか暗渠があるので、行ってきました。まずは谷戸川(の一部)です。

谷戸川は2011年の夏に、通しで歩いたところです。上流に向かって歩いているので、写真の順番と流れの方向に違和感があるのですが、そこはご容赦ください。

▼東京工科自動車大学校から南を見たところ。奥のガードはJR中央線。中野駅が右の方にあります。

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▼東京工科自動車大学校の角。水路跡の特徴のひとつに公衆浴場の存在がありますが、撮影のために立っていたポイントの真後ろに「文園湯」という2006年まで銭湯があったそうです。

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▽1960年頃の地図。文園湯を示す記号がしっかり。そして、この頃は、源流からこのあたりまでが暗渠化されていた模様。東京時層地図から拝借。

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▼東京工科自動車大学校のあたりから西の方を見たところ。水路は道の右端、概ね矢印のあたりにあったのでは、と思われます。

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▼というのも、手前の白い集合住宅と奥の薄茶色の家とで、道幅に差があります。手前の家がセットバックしたわけではなくて、水路を埋めた分道が広がった、というわけです。

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▼上の写真で水路が向きを変えるところ。ここからしばらく、水路跡らしい雰囲気がしばらく続きます。

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▽新しい建物は、玄関が道(もとは水路)の方を向いていますが、たいていは建物の裏に当たります。

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▼左右の道路はもみじ山通り。道をはさんで手前は中野六丁目(旧・文園町)、奥は中野五丁目(旧・天神町)。水路は中野天神のあたりでちょっと怪しくなって、その先でまたはっきりとします。

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昼休みに歩ける範囲では、このあたりが限界。歩いたコースはこんな感じです。

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上の地図に重なる昭和22年頃の航空写真。

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ところで、谷戸川の源流は、中野駅北口のライフとかハラーズがあるあたりのようですが、飲食店が密集するこのあたりのどこが源流なの? と言いたくなるほど想像がつかないのですが、きちんと調べてくれている方が、やはりいらっしゃるものです。

A Midsummer Night's Hole | 中野駅前から神田川方面へ流れる暗渠上散歩。http://misomax.blogspot.jp/2010/10/walk-on-culvert-nakano-station-to-kanda.html

文園湯
http://www5a.biglobe.ne.jp/~furo/fumizono/

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【2018/2/11追記】

谷戸川の源流のことを書いたら、昨年の猫と暗渠のトークイベントでお話を伺ったnama (@nama_kaeru) さんに、さらに詳しい情報を教えてもらいました。リンクを貼っておきます。

https://t.co/ATPi4n7658
https://twitter.com/nama_kaeru/status/961245425335394304

https://twitter.com/nama_kaeru/status/961245425335394304https://twitter.com/nama_kaeru/status/961245425335394304

2016年8月16日 (火)

えんが堀(南の半分)

先日facebookにアップしたえんが堀の写真の撮影地です。
青色の実線、点線がそれにあたります。緑色の線は千川上水の跡を示します(参考)。

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青色の点線の部分=西武池袋線に沿った部分は、もともとのえんが堀ではなく、西武池袋線が敷かれてから作られた流れと思われます。実際には線路をくぐって南の方に伸びていたようです。

さくら小学校は2002年に千川小学校と大成小学校が統合されたもので、元の大成小学校の場所にあります。大成小学校が開校したのは1952年ですので、1947年の航空写真にはまだありません。この当時はまだ農地がところどころに残っていたようです。

▼1963年の航空写真

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この写真の奥に見える建物は、「日本通運江古田流通センター」といいますが、1963年まで西武市場駅という貨物駅がありました。元は長江駅という名称で1945年に開業、都内の集められた屎尿がここに集められ、貨車で清瀬、狭山ヶ丘、高麗の各駅に送られ、肥料として利用されたとのことです。

西武池袋線は開業当時「西武農業鉄道」という会社が運営していましたが、この社名はこのことに由来します。1953年に屎尿の輸送は終了し、名称が西武市場駅と改められましたが、どのように使われていたのかよくわかりません。

▼1947年の航空写真

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ちなみに1963年の航空写真の左下隅に大きな建物が写っています。現在はクレディセゾン(旧・西武クレジット)の「ユビキタス東京」があるところです。以前、この建物の写真について「西武百貨店江原町店」のキャプションがついたものを見たことがあるのですが、これもさっぱりわかっていません。

2016年7月10日 (日)

川崎駅付近の水路

川崎駅付近の水路、といっても痕跡はありません。

▼明治期の地図。水路を青色の破線で、橋の位置を黄色の三角であたりをつけました。

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▼戦後すぐの航空写真。すでに水路は見られません。

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▼現在の地図。

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2016年6月25日 (土)

淀橋の南側~西新宿5丁目

新宿村LIVE(新宿区北新宿2丁目)で観劇の前に時間が空いたので、淀橋の南側でプチ探索。予習なしでしたが、やはり整備前の神田川の名残がちらほら。

地図は、東京時層地図から借用。

▼最近の地理院地図

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▼戦前。元の流れと整備した流れが入り交じっているか。

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▼高度成長期。変電所の東側の支流は「神田上水助水堀」。玉川上水から分かれて神田川に注いでいたもの、と。

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▼バブル期。神田上水如水堀は埋められて公園に。緑色の部分。

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写真はfacebookにアップしました。
https://www.facebook.com/mochizuki.kazuo/posts/777779655692401

2014年9月28日 (日)

【杉並区の水路跡】桃園川につながる環七沿いの水路跡

9月21日に歩いた桃園川。あちこちに支流の後を見つけましたが、こんがらないで経路を思い出せたのは、ここだけ。環七通りを渡ってすぐのところに、環七に沿って北上する水路跡がありました。

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地図の△1。手前の石畳風が桃園川の緑道。そこからすっと北のほうに伸びる細い道。

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地図の△2。

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おそらくは、もとは短い橋の欄干だったもの。

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さらに北上。右側のフェンスは、おそらくは護岸がそのままになっているものかと。

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地面の下は、確かに下水道。

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パトロール中のにゃんことすれちがう。

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地図の△3。

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まだまだ行けそう。

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地図の△4。

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ここから先は、右側のマンションの敷地になっています。水路跡などの旧法定外公共物は国有地(実際には区道)ですが、隣接地の所有者が取得する権利があるので、おそらく。突き当たりには倉庫のようなものが…

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地図の△5地点から南方向を見たところ。

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△5地点から北は、幅を広げて自動車の通行ができるようにしてあります。

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地図の△6地点。ここから北は左のビルの敷地に組み入れられている様子。

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地図の△7地点から南東方向。中央の芝生の部分が水路の跡かと。

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△7地点から西の方。環七通りをはさんで水路はつづいているのか…

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昔の航空写真を見ると、どうもつづいていて、痕跡もありそうです。こちらは1963年の航空写真。環七はこのあたりでもすでに供用されている模様。

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こちらは、1947年の航空写真。環七はまだ着工前の更地の状態。ただ、水路の様子は、こちらの方がわかりやすいです。.

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環七より西側は、またの機会に。

2014年9月25日 (木)

【杉並区の水路跡】桃園川

週1ぐらいのペースは守りたいな、と思って今度は杉並へ。

桃園川は神田川の支流で、現在は全体が暗渠になってます。新宿区、中野区の部分は以前歩いたので、残りの部分を。

神田川への合流点から新宿、中野を経て杉並区に入り、阿佐谷駅近くで中央線に突き当たるあたりまでは、緑道公園として整備されていますが、そこから先は道路や通路になっていますが、割とたどりやすそう。水源に近い荻窪駅の北口からスタートしました。

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古い地図や航空写真でははっきりしない支流があちこちにあって、ずいぶん回り道をしました。

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阿佐ヶ谷駅の北側は、かなり細かい水路の痕跡があり、改めて行ってみたいと思います。というか、ウロウロしているうちにこんがらがってしまったというのが実のところ。

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スタートは、荻窪駅の北側。りそな銀行とJTBのあいだ。

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こんな感じで細かい水路が分岐。そして最後は行き止まり。

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その他の写真はこちら。Facebookの登録なしでも閲覧できます。

桃園川 (1-2)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498247906978912.1073741833.100003811201990&type=1&l=b561aa1275

桃園川 (2a)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498261133644256.1073741835.100003811201990&type=1&l=dae4271b10

桃園川 (2-3)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498258446977858.1073741834.100003811201990&type=1&l=554b396557

桃園川 (3a)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498286203641749.1073741838.100003811201990&type=1&l=78c41beccf

桃園川 (3-4)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498264633643906.1073741836.100003811201990&type=1&l=030acca79d

桃園川 (4a)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498911950245841.1073741842.100003811201990&type=1&l=2154339e03

桃園川 (4b)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.499171796886523.1073741843.100003811201990&type=1&l=6f9b25bdbc

桃園川 (4-5)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.498880450248991.1073741841.100003811201990&type=1&l=5218134e7a

桃園川 (5a)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.499179513552418.1073741845.100003811201990&type=1&l=00dd2daa56

桃園川 (5-6)

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.499177583552611.1073741844.100003811201990&type=1&l=cf17019a8a

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